こんばんは。
アール・デコ建築で有名な東京都庭園美術館で開催中の展覧会に行ってきました。
「キスリング展 エコール・ド・パリの夢」
この日は、元熊本県立美術館学芸課長でアート・キュレーション代表の村上哲(さとし)さんとアートブログ「青い日記帳」主宰の中村剛士(たけし。Tak)さんのトークショーがあったので、展覧会を見る前に聴いてきました。キスリングの人となりや作品についていろいろなお話をうかがった後での鑑賞は、とても有意義な経験になりました。
ここでは、相変わらずのまとまりのない内容で申し訳ありませんが(^^;)、簡単ながらご紹介を。しばし、お付き合いください。
それでは、さっそく、展覧会に!
※ 以下の記述は展覧会のパンフレット、作品説明、トークショーでのお話や資料、図録、そのほかWeb上の解説等を参考に記述しています。また作品の写真はパンフレット、図録を撮りました。
[目次]
I.展覧会概要
(1)展覧会:「キスリング展 エコール・ド・パリの夢」
キスリングは1891年1月22日、ポーランド・クラクフの裕福なユダヤ人家庭に生まれます。クラクフは日本でいうところの京都のような古都とのこと。また、ユダヤ人が多かったとのことです。そして、あのアウシュヴィッツも近かった。これらのいろいろなことがキスリングの作品にも人生にも影響してきます。
キスリングは1910年、印象派やセザンヌに憧れてパリに出ます。1912年にはパリ・モンマルトルのアトリエ住宅・通称"洗濯船"で、モディリアーニやピカソ、ブラックらと出会い、キュビズムに感化されます。しかしながら、キスリングが最終的にキュビズムを目指すことはありませんでした。
1913年からはパリ・モンパルナスの東に移り、1919年にはパリのドゥリュエ画廊で初の個展を開催、成功をおさめます。キスリングは交流の深かったモディリアーニやフジタより年は若いのですが、早くから成功し、また、面倒見の良い性格で周囲からの人望も厚く、1920年代は「エコール・ド・パリのプリンス」として活躍します。特にモディリアーニとは仲が良かったようです。しかしながら、モディリアーニのように不幸な最期をとげることなく、1917年に結婚して2人の子供にも恵まれ、最後まで奥様と添い遂げたという当時の画家にしては珍しく幸せな家庭(?!)を作り上げた人でもあったようです。
また、かなり血の気が多い人で第一次世界大戦ではフランス外国人部隊に志願し、戦場で負傷してしまいます。そして第二次世界大戦ではユダヤ人として反ナチス運動を行い、ナチスから1938年に死刑宣告を受けます。ナチスがポーランド・フランスと侵攻する中で1940年にはフランスを離れ、1941年にはアメリカに亡命します。これらの"事件"がキスリングのその時々の作品に影響を与えます。
1946年、フランスに戻り、制作活動を続けますが、1953年、自らの展覧会開催後に倒れ、4月29日に急逝します。享年62歳。
そんなキスリング展は、日本では12年ぶりの開催です。
(2) 会場:東京都庭園美術館(目黒)
※ 目黒駅から歩いて7・8分です。地下鉄・白金台駅からも1番出口から6分くらい。建物自体が美術作品であり、庭園もゆっくり散策でき、大好きな美術館の一つです。去年はフランス絵本展を見に行きました。絵画の個展は久々なような気がします。レストランもあり、休日のお出かけにはおススメです。
(3) 会期・開館時間・展示替等
2019/4/20(土)~2019/7/7(日)
・休みは第2・4水曜です。これからだと6/12、6/26です。(2019/6/8現在)
・開館時間は10:00~18:00。入館は30分前まで。
・ナイトミュージアムはありません。
(4) 料金
・一般1,100円、大学生880円、中・高生及び65歳以上550円(小学生以下及び都内在住在学の中学生は無料)
(5) 訪問時間と混雑状況
・5/26(日)の14:00前に訪問。混雑はなく、ゆっくり見られます。
・鑑賞時間は80分くらいでした。
(6) 美術館メモ
・本館の旧朝香宮邸に加え、新館の展示室もあります。
・写真撮影はNGです。
・ミュージアムショップもあります。カード利用可です。カタログ、絵ハガキ、グッズ等が販売されています。カタログが2,315円、ハガキが120円いずれも税抜きです。
カタログの表紙です。裏表紙はあとで紹介する「ミモザの花束」です。
(7) 行くきっかけ(情報源等)
チラシミュージアムを見て、東京都庭園美術館さんのWebを見て、さらにトークショーがあるのを知って、「行こう!」と決めました。トークショーは聴いて良かったです。これから、他にもいろいろと聴いて、このブログでも紹介できればなぁ、と思います。
II. 展覧会所感
(1) 個人的な所感
キスリングの作品はとても独特で印象深く、好きです。でも、この印象深さはどこから来るのか?トークショーではキスリング作品の二面性について触れられていました。比較的早くから成功し、家庭にも恵まれたキスリング。絵も一見華やかで鮮やかな色づかい。でも、どこか影がある。この華麗さと陰鬱さが背中合わせなのがキスリング芸術の魅力というお話しでした。これにはとても納得しました。
随筆家で小説家のアンリ・トロワイヤの言葉
「私にとって彼の作品から立ち現れてくるものとは、喜びと憂鬱との奇妙な混淆物なのであった・・・」
(パンフレット表面)
(パンフレット裏面)
それでは、さっそく会場の中にまいりましょう。
(2) 展覧会の構成と気になる作品
・展覧会の構成
展覧会の構成は・・・
・序 キスリングとアール・デコの時代
・第1部 1910-1940:キスリング、エコール・ド・パリの主役
- セザンヌへの傾倒とキュビズムの影響
- 独自のスタイルの確立
・第2部 1941-1946:アメリカ亡命時代
・第3部 1946-1953:フランスへの帰還と南仏時代
と、キスリングの生涯を追った展示になっています。
今回は、上記展示順ではありませんが、キスリングの「画題」でまとめて、いくつかご紹介させていただきます。
・静物画
「青い花瓶のある静物」1914年
初期の頃の作品で生物の配置や筆のタッチに「セザンヌ」っぽさが見られます。
「果物のある静物」1920年
個展が成功をおさめた後の作品。色に明るさがあります。
「果物のある静物」1953年
晩年の頃の作品。「キスリング節」を感じる作品です。色が華やかで鮮やか。机に映る果物が机の面の光沢を教えてくれます。一方、机自体はかなり深い茶色。重々しさを感じさせます。まさに「華麗」と「憂鬱」が同居する二面性の世界のように感じます。
・人物・肖像画
パンフレットや図録の表紙になっている絵は、こちらの女性がモデルです。作品は「ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)」1933年作。モデルは現在公開中の映画「コレット」のモデルで「ジジ」の作者である小説家・シドニー=ガブリエル・コレットの娘です。彼女も映画製作など一線で活躍する女性でした。
モデルのポーズをちょっとぎこちなくさせているところ、背景の鬱蒼とした緑は"永遠の素人"アンリ・ルソーの影響を受けたもののようです。また、組んだ手のひらが少し未完成に見えるのは、敢えて絵に未完成な部分を残したセザンヌへのオマージュのようです。
「モンパルナスのキキ」1925年
極端に腰を大きくした絵は新古典主義の巨匠ドミニク・アングルの「グランド・オダリスク」の影響を受けているようです。先程のルソーとアングルはこの時代の画家たちに大きな影響を与えた存在とのことです。
アングルのオダリスクも腰が不自然に長くなっていて、それが女性の優美さを際立たせていますが、こちらも女性らしさを突き詰めた結果がこのフォルムを作り出していったのでしょう。
(ルーブル美術館の「グランド・オダリスク」。腰がアンバランスに長いのが分かります)
「ジプシーの女」1929-30年頃
キスリングの描いた肖像画の中では好きな絵でした。目が大きく、少し童顔な顔立ち。決して合うことのない視線。これも華麗と憂鬱の同居した作品です。
「ブルターニュの女」1943年
白いレースに黒い服。伝統的な衣装を身にまとう美しい女性。でも、どこか物憂げ。アメリカに亡命していたときの作品です。
・風景画
「マルセイユ」1940年
アメリカに亡命する前に滞在した南フランスで描かれた風景画です。とても精緻な画面構成の風景画です。
・花
「花」1934年
「カーテンの前の花束」1937年
キスリングの重要なモチーフの一つ「花」
鮮やかで少し毒々しさもある色づかいの花。それを取り囲む背景の濃く深い青。華麗でありながら哀愁も漂わせる花の姿に魅了されます。
「ミモザの花束」1946年
アメリカ時代に描かれた鮮やかなミモザの花束。黄色い花は筆だけではなく、他の道具も用いて描かれているようです。(道具は何かはわからないとのこと)
キスリングの時代は色彩理論が唱えられ、キスリングは補色の効果(色相環で反対の色)を駆使することで、画面により鮮やかさをもたらしているとのこと。独特の鮮やかさはキスリングの意図のもと緻密に構成されたもののようです。
とにかく鮮やかで、どこか影がある。キスリングならでは色彩を是非「本物」でご堪能ください。
(3) さいごに
「エコール・ド・パリ」
各地からパリのモンマルトル、モンパルナスに集まり活躍する画家たちを指し、「パリ派」という意味になります。(エコール=フランス語の学派・流派の意味)
実はこの言葉、最初は「悪口」だったようで、フランス国外からパリに集まる画家たちの活動がフランス文化を脅かすと考えた人たちが敢えて「パリ派」と呼びました。フランスの画家たちは「エコール フランセーズ」と呼んで区別したそうです。ところが、その後、彼らの活動が認められ、いい意味で用いられるようになったとのこと。「印象派」もそうですが、新しいものへの非難は最初はつきものですね。(一方の「エコール フランセーズ」はあまり耳にしません)
ユダヤ人であるキスリングは1924年フランスに帰化しています。「エコール・ド・パリ」の世界で獲得したユダヤ人とフランス人という二面性。これもキスリングの絵画に大きく影響したものと思われます。
2020年はエコール・ド・パリ100周年とのこと。来年、また、さまざまな企画展があることを期待しています。
それでは、最後にリンクです。
エコール・ド・パリの日本代表・藤田嗣治。2018年の回顧展から。
6月の展覧会はこちら。
キスリングもフジタも通ったモンパルナスの カフェ「ラ・ロトンド」
フジタのときも掲載した写真ですが再掲。また、行きたい。
ということで、今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
東京都庭園美術館。週末のお出かけの候補にいかがでしょうか。
ではでは。