こんにちは。昨日、調子に乗って飲み過ぎて、まだ眠いです・・・
さて、この前の金曜日、ラグビーを見に行く前に、会社を早上がりして行った展覧会です。
[目次]
I.展覧会概要
(1)展覧会名称
「没後50年 藤田嗣治展」
(2) 場所
東京都美術館 ※ 上野駅公園口から動物園の脇の方に入ったところで歩いて7~8分くらいです。
※ 東京都美術館の展覧会は今年4回目です。今年、一番来ている美術館ですね。
前回は、これで来ました。
yorocon.hatenablog.comこの後、ムンク展(2018/10/27~)、クリムト展(2019/4/23~)とあるので、今後も目が離せません。
(3) 会期
2018/7/31(火)~10/8(月・祝) ※ 月曜日休館ですが、3連休の9/17(月)、9/24(月)、10/8(月・最終日)は開館で翌火曜が閉館です。
(4) 開館時間
9:30〜17:30 ※ 入室は閉館30分前まで。金曜日はナイトミュージアムで20:00まで開館
(5) 訪問時間
9/14(金) 16:15頃 鑑賞時間は90分程度でした。
(6) 料金
大人1,600円、大・専門生1,100円、高校生800円、65歳以上1,000円、中学生以下無料
※ 通常料金で買いました。9/19(水)は65歳以上の方は無料です。
(7) 混雑状況
人は多いです。入場券も金曜の16:15で2つの窓口にそれぞれ7~8人並んでいるので、休日はもっと混むと思います。また、会期末になると更に混むと思います。ナイトミュージアムで行く方が、ゆっくり見られるかも。(想像です)
いずれにせよ、見に行く予定の方は早めに行った方が良いです。
(8) 写真撮影
NGです。
(9) ミュージアムショップ
東京都美術館は入り口にもミュージアムショップがありますし、展示会場出口にも特設のショップがあります。絵ハガキは1枚120円ですが、あまり種類は無いように見受けられました。売り切れた可能性もあります。
今回は、思い切ってカタログ(2,400円)を購入しました。結構、見ごたえがあったので。
クレジットカード利用はOKです。(入場券もカードOKでした。入場券を見るとVISA、Master、セゾン、あと中国のカードでJCBは利用可になっていないようでした)
(10) 美術館メモ
人は多かったのですが、比較的展示スペースが広めにゆったり取られているので、ぎゅうぎゅうになることはなかったです。休日は結構混むかもしれませんね。
展示は1階から2階、3階とに分かれています。階を上がるエスカレータまでの通路に年表や記録映画「現代日本」の上映スペースがあります。
3階に上った後も中のエレベータを利用して1階に戻り、再度鑑賞することができます。
(11) 行くきっかけ
情報はあちらこちらから得てました。(プーシキン展に行ったときに次回予告がありましたし)
でも、個人的には、最初は行くか、行かないか、迷って、行かなくても良いや、と思ってました。それは、私が、もともと藤田の画風がめちゃくちゃ好き!というほどではなかったのと、これまでも国立近代美術館(竹橋)の展示や、藝大美術館(上野)の展覧会等々で結構、見てきたという頭もあって、わざわざ行かなくてもと思っていました。
そんな中、家の奥様がこの展覧会に8月末頃行って、「良かった」と聞いたもので、気になり始め、仕事も落ち着いてきたので、ちょっと早上がりできたら、会社帰りに見に行こう!と思い、めでたく思いが成就した次第です。
結論から言って、「行ってよかったぁ」(最初から行けばよかった)という感じです。
II. 展覧会所感
(1) 個人的な所感
今回の展覧会は
「私は世界に日本人として生きたいと願う。」
という言葉から始まり、フジタの画業の全貌を解き明かす大回顧展と銘打ています。
その言葉の通り、初期の作品からフランスで乳白色の絵が誕生するまで、南米を放浪を経ての日本への帰国、そして戦争。戦後、ニューヨークから、またフランスに渡ってから画業。という具合に、藤田の歴史をたどりながら、その時代時代の作品が展示されています。画家の時代時代での画風がよくわかる構成となっていて、質・量ともに充実した「大回顧展」にふさわしい内容であると思います。この展覧会を見て、私は藤田が好きになった気がします。
(2) 展覧会の構成と気になる作品
I 原風景 - 家族と風景
藤田は陸軍軍医の藤田嗣章(つぐあきら)の4人兄弟の末っ子として生まれています。家柄は当時ではかなりの名家です。東京芸大の前身の東京美術学校に入学します。その頃はあまり優等生という感じではなかったようです。藤田は結構、家族の絵も残しています。そのころの画風はこちら。
(「婦人像」1909 最初の妻・とみに似ているとのこと。黒田清輝、和田英作に師事していたとのことで、当時の「日本の油絵」という感じがします)
II はじまりのパリ - 第一次世界大戦をはさんで
このころの藤田の画風は模索の後が伺えます。キュビズム、親友モディリアーニ風の人物画、そして乳白色につながるような絵。
1917年から日本美術を本格的に研究しています。海外で日本人として成功するための模索を続け、乳白色に細い線の画風にたどり着くには、この研究も影響していたと思います。
(「キュビズム風静物」 1914 フジタっぽくないですよね)
(「花を持つ少女」 1918 よく知っているフジタになってきました)
(「アネモネ」 1918 白基調の中に鮮やかな赤い花と薄いピンクの花が映えます。フジタの繊細さがよく出ている作品と思いました)
(「貝殻のある生物」 1924 フジタの出世作といえば
「私の部屋、目覚まし時計のある静物」 1921 ですが、黒人の絵のある時計がユーモラスで、小物類が並ぶところも、こちらの絵の方が、なんとなく好きです。黒人が描かれているのはジャズが流行ってたからのようです)
1920年代前半に乳白色の画風を確立し、フジタはフランスで成功をおさめます。
III 1920年代の自画像と肖像 - 時代をまとう人の姿
こちらでは、藤田の自画像、藤田が描いた肖像画が並びます。
最初の肖像画(1921)はまだ不安そうな表情ですが、1926年頃の肖像画は自身みなぎる感じ、猫もいたずらっぽい表情で登場してきて、画家の充実ぶりが伺えます。
IV 「乳白色の裸婦」の時代
いよいよフジタの乳白色の裸婦の絵が登場します。このころは、背景にタピスリーなど色・柄のある布を描き、乳白色を際立たせています。
また、第一次世界大戦後のインフレでフラン救済を訴えるポスターや1920年代の狂乱の時代の舞踏会のポスターなどを手掛けています。このようなポスターを手掛けているということはフジタがいかにフランスに溶け込んでいたかを表していると思います。
(第4回芸術家友好援助会(AAAA)舞踏会 1926 表現があまりに官能的で地下鉄から撤去要請があったが、それに芸術家が反対運動を起こしたという、パリに論争を巻き起こす問題作だったようです。でも、この絵がすでに1920年代に描かれ、ポスターになっているというのが、すごいです)
・V 1930年代・旅する画家 - 北米・中南米・アジア
この頃のフジタの絵は、知らなかったです。今回、鑑賞できて良かったです。フジタの新しい一面を見た気がします。中南米時代は、乳白色とは打って変わったド派手な色遣い、会場の説明では「グロテスクな」と表現されるような絵が続きます。
(「婦人像(リオ)」 1932 この絵、まだ落ち着いている方です)
そして、日本に戻っての藤田はこんな感じです。
(「自画像」 1936 日本はちょっと退屈そうかもしれませんね)
そして、いよいよ戦争へと向かいます。
VI-1 「歴史」に直面する - 二度目の「大戦」との遭遇
ここでは藤田の言葉を紹介します。
「私程、戦に縁のある男はいない。1913年、初めて巴里に来て1年目に欧州大戦争(=第一次世界大戦)にぶつかり、日本帰れば日支事変(=日中戦争)に会ひ、5月に巴里へ来て、この9月には又戦争(=第二次世界大戦)にでくはし、まるで戦争を背負って歩いている男だ」
VI-2 「歴史」に直面する - 作戦記録画へ
この時の藤田はこんな感じです。
(「自画像」 1943 おなじみのおかっぱを丸刈りにして、日本にいることを決意していますが、あえて逆光の自分を描くことで、その時の気持ちも表わされているように思います)
そして「アッツ島玉砕」(1943)、「サイパン島同胞臣節を全うす」という作戦記録画に行きつきます。私は東京国立近代美術館(竹橋)で、何回もこの絵を見ましたが、本当に藤田が書いたのかと思われるほど、暗いこげ茶色の色調に画面全体で人が組んずほぐれつしていて、凄惨な殺戮シーンや自決、死体というような絵が、それも丹念に丁寧に緻密に描かれています。「アッツ島玉砕」は藤田曰く作戦記録画中「尤も快心の作」と言っています。この「快心」というのと絵の凄惨さが、戦後の私には結びつかず、藤田がどのような思いでこれらの絵を描いていたのか、はかり知ることができないところです。
この戦争画が、結局、藤田を「戦争協力者」にまつりあげ、日本から追われるように出ていく原因となりました。
VII 戦後の20年 - 東京・ニューヨーク・パリ
戦後、藤田はニューヨークを経て、パリに着き、帰化します。そして洗礼も受け、日本に戻ることなく、自らが建てた教会に眠ります。(ランスのフジタ礼拝堂)
パンフの絵「カフェ」(1949)はニューヨークでパリを思いながら、書かれたものとのことです。
この頃のフジタの絵は、こんな感じで、前のフランス時代から、さらに進化した(私が思うところですが)絵になっています。
(「機械の時代」 1958-59 フジタには大人の世界を子どもで表現する絵が、よくあります。乳白色を基調としつつも色遣いも鮮やかで、かつテーマもおもしろい。私はこの頃のフジタの絵は好きです)
VIII カトリックへの道行き
フジタは早いころから宗教的なものに興味はあったようです。そして最後に洗礼を受け、カトリックの教会の装飾も手掛けています。宗教画のシーンにフジタそのものが登場している点はおもしろくもあり、興味深いです。
以前、損保ジャパン日本興亜美術館でフランスのランス美術館でも展示されていましたが、次の絵を紹介です。
(「マドンナ」 1963 アメリカのマルペッサ・ドーンという女優がモデルとのこと。これまで見たことのないマドンナ像です)
(3) 最後に
まだまだ、多くの絵が展示されていますが、図録を買ったので、ほんの少し、ご紹介しました。これから、芸術の秋、三連休もありますので、もしよろしければいかがでしょうか。混んでいるかもしれませんので、その点はご注意を。
では、昨年2017年11月にパリ・モンパルナスを訪問した時のカフェの写真で終わります。きっと、フジタも来ていたような。
(私も描いて)
・・・僕には、チョッと。ではでは。