こんばんは。
今回は、「書」の展覧会のご紹介です。
このブログでも記事にしてますが、私は書道が好きです。自分でも書きます。人の字を見るのも好きです。かといって、書のことが分かっているかというと・・・(さっぱり)
そんな私に何が書けるのか、と思いつつも、会期末(2/24)まで、あと5日(2/20時点)。何か伝えられる情報があればと、勇気を持って紹介してみます。今回も、まとまりのない内容ですが、しばし、お付き合いを。
ひとつ確実に言えるのは、とにかく混んでいます!
※ 今回も展覧会のパンフ、図録、会場の説明書き、Web等の情報を参照して記述しています。また、写真はパンフや図録を撮っています。
[目次]
- (1)展覧会:特別展「顔真卿 ー 王羲之を超えた名筆 ー」
- (2) 会場:東京国立博物館(上野)
- (3) 会期・開館時間・展示替等
- (4) 料金
- (5) 訪問時間と混雑状況
- (6) 美術館メモ
- (7) 行くきっかけ(情報源等)
- II. 展覧会所感
(1)展覧会:特別展「顔真卿 ー 王羲之を超えた名筆 ー」
今回の展覧会はとにかく「書」がテーマです。
中でも顔真卿。「がんしんけい」と読みます。
こちら、中国・唐代の709年~785年を生きた方で、中国の歴史において政治的にも芸術的にも大活躍された凄い方です。その生涯は日本ではほぼ奈良時代と重なりますね。
この頃の唐は、政治の安定が続き、国家は繁栄を極めていましたが、やがて皇帝・玄宗に緩みが出はじめ、享楽の生活に溺れるようになると、徐々に世が乱れ始めます。さらに玄宗は、あの楊貴妃を寵愛するようになると、ますます世情は不安定になり、やがて安禄山(あんろくざん)、史思明(ししめい)による「安史の乱」が勃発。混乱の時代へと突入していきます。時は755年。
そして、この安史の乱の平定に貢献したのが顔真卿をはじめとする顔一族です。この乱の中で、味方からの裏切りを受け、敵に囚われの身となり殺されたのが従弟の顔杲卿とその息子・顔李明。そして、この顔李明を祭るために書かれたのが今回の目玉
「祭姪文稿」(さいてつぶんこう)です。台北の国立故宮博物院から来ました。
ちなみに「姪」は兄弟の子供という意味です。
今回の展覧会では、顔真卿のほかにも王羲之、楷書を完成させた初唐の三大書家・虞世南(ぐせいなん)、欧陽詢(おうようじゅん)、褚遂良(ちょすいりょう)、日本からも三筆の空海・橘逸勢や三蹟の藤原佐理・小野道風等の書等、国宝を含む歴史的な名筆が展示されています。
(2) 会場:東京国立博物館(上野)
またまた「トーハク」です。今年2回目(だったかな)ですね。トーハクの入り口を入り、左手奥にある「平成館」の2Fが会場です。最寄り駅は上野または鶯谷です。
(3) 会期・開館時間・展示替等
2019/1/16(水)~2019/2/24(日) ※ 今週末までです。
・開館時間は9:30~17:00。入館は30分前まで。
・今からだと2/23(金)、2/24(土)が21:00までのナイトミュージアムです。
(4) 料金
・大人1,600円、大学生1,200円、高校生900円、中学生以下無料
(5) 訪問時間と混雑状況
2/17(日) 9:20訪問。鑑賞時間は約150分。(2時間半)
とにかく混んでいます。要注意です。私の当日の行動はこんな感じです。
・チケットは前日にWebチケットを購入済み。
・当日9:20頃、博物館に着く。開門10分前も門の前は既にチケット購入済みの人の長蛇の列。チケットを持たない人はさらにチケット売り場の列に並ぶ必要あり。(できるだけ前日までに買うのが良いです)
・9:30開門も入場制限あり。9:45頃入館。
(入館前はこんな感じでした。時間はとにかく早めがお勧めです)
・まず真っ先に第一会場の出口付近の「祭姪文稿」に向かうも既に30分待ち。
・10:15頃「祭姪文稿」鑑賞完了。鑑賞は「歩きながら鑑賞を」と呼び掛けられるので、ほんの1~2分くらいですかね。まぁ、生で見られただけでも良かったですが。
・その後、最初の展示から鑑賞。人も多く、展示も多いので、鑑賞時間はかなりかかります。12:20くらいにようやく出てきました。
・昼は祭姪文稿を見るまで100分近く並ぶので、休日の朝早く見に行くしか、対策はないような気がします。もしくは並んでも時間の気にならないナイトミュージアムのときを狙うか・・・。いずれにしても「祭姪文稿」を見るには一時間~一時間半くらいは並ぶ覚悟は必要です。
(6) 美術館メモ
・本展(=特別展示)の写真撮影はNGですが、No.57「紀秦山銘」(唐太宗筆)のみ撮影可能です。
(これが撮影可能な書です。多くの人が鑑賞しています)
・ミュージアムショップでは、図録2,800円でした。このほか、筆等の書道用品も販売していました。(筆は試し書きなどもできて、これは楽しかったです)
(図録表紙です)
この図録、書も解説もかなり充実の内容で、私はお薦めです。
(7) 行くきっかけ(情報源等)
展覧会情報はチラシミュージアムで知りました。今年のおススメ展覧会なんて他の記事でも取り上げていたのですが、なかなか行けてませんでした。その後、2月の3連休明けの書道のお稽古のときに、先生が「見に行ったけど、すごい混んでいた」と聞かされ、焦って見に行きました。この先生の感想を聞いたのが、実際に見に行く大きなきっかけでした。
II. 展覧会所感
(1) 個人的な所感
顔真卿の祭姪文稿が日本に来るにあたっては台湾・中国で大ブーイングだったそうです。(Webの記事調べ)
祭姪文稿は顔真卿の真筆で、そもそも台湾の国立故宮博物院でもほとんど展示されていないとのこと。さらに顔真卿は安史の乱でも活躍した中国屈指の忠臣。そんなスターの書が日本で展示されるのですから「普段展示もしないのに、なんで日本になんか貸し出すんだよ~。破かれでもしたら、どうすんだよ~」という感じみたいです。"王羲之を越えた"なんてキャッチフレーズにも敏感に反応があるようで、台湾・中国での注目が高い。だから、台湾・中国から見に来ている人、多いです。あとは、恐らく高校の書道部かなぁという女子高生グループ、私同様に書道が趣味の人(特に年配の人)と、本当に幅広い方見に来られています。
展覧会は書の歴史も分かり、中国・日本のいろいろな書に触れられる盛りだくさんな内容だと思います。うまく説明はできませんが、字を見ているのはなんだか楽しい時間です。あと、書家には結構な変わり者?がいるんだなぁというのも所感です。その点は次の項で。
(パンフの真ん中あたりが祭姪文稿です)
(2) 展覧会の構成と気になる作品
・展覧会の構成
今回の展覧会は、盛りだくさんなので、まず、展覧会の構成を紹介の後、気になった作品を紹介します。
まず、展覧会の構成は・・・
第1章 書体の変遷
第2章 唐代の書 安史の乱まで
第3章 唐時代の書 顔真卿の活躍
第4章 日本における唐時代の書の受容
第5章 宋時代における顔真卿の評価
第6章 後世への影響
それでは、本展覧会で気になった点・・・
・字体の変遷
長年、書道をやっているつもりでしたが、この字体の変遷。正直、分かっていませんでした。本当、書は分からないことばかりです。(長年やってても、こんなもんですよ^^;)
自分なりに簡単にまとめると、書には大きく以下の字体があります。
・「篆書」(てんしょ):象形文字に近いような字体です。秦代に標準書体に
・「隷書」(れいしょ):「篆書」は曲線が多いので更に書きやすく標準化した書体
・「草書」(そうしょ):「隷書」を速記するための書体。かなり崩した字形
・「行書」(ぎょうしょ):「隷書」を速記するための書体。草書ほど崩していない字形
・「楷書」(かいしょ):「隷書」をさらに簡素化し、直線などで表現した書体。現代でも最も使われている書体。
「篆書」→「隷書」→「草書」・「行書」・「楷書」(3つはほぼ同時に形成)と流れているということを知りませんでした。日本の仮名文字などの変遷からみると
「楷書」→(すこし崩して)→「行書」→(もっと崩して)→「草書」
だと思っていましたが、そうではなく、どれも「隷書」が基にあるとのこと。
でも、実は実際に書いていると納得なところがあります。特に「楷書」「草書」だと字形もそうですが書き順も大きく違うなぁと感じることがあるのです。それぞれ並行して成立したというのなら納得です。
では、それぞれの字体をご紹介。
「篆書」
[隷書]
[草書] 王羲之です。
[行書] 草書と行書の中間くらいでしょうか。
[楷書] 王羲之の名筆「蘭亭序」です。王羲之の「蘭亭序」の書は唐太宗が溺愛で、複製を臣下に命じました。この中で初唐の三大書家の一人・欧陽詢の臨書(手本をみて書いた書)の拓本を「定武蘭亭序」と呼びます。日本では犬養毅が入手していたようです。
・奇人たちの書
ちょっと、言い過ぎなところがあるかもしれませんが、書を改革した人の中には、結構な奇人がいます。天才と奇人は紙一重。書家たちのそんな面をここでは、ご紹介。
まず、顔真卿。変わっているというと怒られますが、こちらの方、当時の法務大臣を務めるなど、書でも実務でも優秀な方ですが、「剛直」な性格ゆえに結構、繰り返し左遷されています。「剛直」というので、要は頑固で曲げないから、上司からみたらうっとうしい奴って感じでしょうか。ある意味、奇人。安史の乱で義勇軍を組織して賊軍に立ち向かったのも「左遷」の最中。その後、都に戻っても、また左遷。さらには左遷先で、さらに自由闊達な書を残すという、結構めげない人だと思いました。
だからこそ、ああいう字が書けるのかなぁとも思います。
祭姪文稿ですが、先ほど書きました通り、賊軍の刃に倒れた甥の死を悼む文。
最初は比較的冷静な行書で始まります。筆の流れなど、まだ落ち着いた感じ。
中段から甥への思いが高まり推敲も重ねられ、徐々に字に感情が込められてきます。字の大きさの違い、線の強弱・力強さに感情の高まりが表れます。
最後は、その時の感情でなければ現れないような筆の流れになっていると思います。
感情が表わされていても線の美しさは変わらない。決して乱れてしまうのではなく書に感情が込められていく感じでしょうか。(分からないなりにも感じてみました)
なお、こちらは顔真卿の楷書です。線に厚みがあり、また縦画に膨らみあるので、温かみのある書だと思います。顔真卿はきっと感情豊かで情に厚い方だったのではないかと想像します。だからこそ、歴史に残る祭姪文稿も自然と書けたのではないかと思います。(祭姪文稿の字は書こうと思って書ける字ではないので)
次に酒にまつわる奇人、ある意味、超人の面々をご紹介。
まずは張旭(ちょうきょく)。図録の解説によると・・・
杜甫の「飲中八千歌」で「張旭は三杯の酒を飲んで揮毫し、草書の聖人と言われている・・・」と言っています。酒に酔うと大声をあげて狂走し、髪を墨で濡らして書くなどの奇行(?!)が多かったようです。まさに天才となんとかは紙一重。でも、見ようによっては現代アートとも通じるところがあるような。顔真卿は30代のとき、この方に書を習ったようです。
では、その書です。
この流れる線、メリハリ、素晴らしいですが、この書は、突然の腹痛に見舞われたが薬を飲んだら良くなったと伝えているとのこと。原因は酒?相当良くなったんでしょうね。
次は懐素(かいそ)。こちらも図録の解説によると・・・
顔真卿と知り合いになり草書を極めたとのことですが、この方も酒を飲んで寺院の壁や塀に書を書いたとのことで、現存作品が少ないようです。
その懐素の書はこちら。
自叙帖でこちらも台湾の国立故宮博物院から来ました。この書は目を引きました。本当に自由自在な筆の運びは、圧巻です。どうしたらこんな風に書けるのか、憧れます。
で、最後の奇人は日本から。日本の三蹟の一人、藤原佐理(ふじわらのすけまさ)。
この人も、酒にだらしなく詫び状ばかり書いていたようで、展覧会の解説にも「如泥人」=だらしない人と言われていた、ということです。
こちらの方の書は、このとおり。
酒飲んで、だらしないと良い字が書けるのですかねぇ(^^;)詫び状で練習したんでしょうね。(でも、自分は酒飲んで、だらしないですが良い字は書けないので関係ないか)
日本人だから思うのかもしれませんが、日本の字の方が少し優美さがあるように思います。なんとなく柔らかい。
ということで、長々と書きましたが、今回はこの辺で。
(3) 最後に
自分でも書を書いていて思うことがあります。書の線に勢いをつけたり、流れの中で書いたり、呼吸を整えて書いたり、口で言うのは簡単ですが、実際は本当に難しいです。だから、今回のような展覧会を見て、絶対に同じ字は書けませんが、何か掴めることがあれば良いなぁ、そんなことを思いながら見ていました。
長いこと書をやっていても、決して一本たりとも同じ線は書けない。書きながら、「良く書けた」と思っても、次の瞬間には、もう満足のいかない字に見えてくる。本当にゴールのない世界だと思います。(きっと、生涯、これだという字には辿り着かないんだろうなぁ。だから面白んですよね・・・)
また、機会をみて人の書を鑑賞しに来たいと思います。
あっ、この展覧会の半券を上野・アトレの六厘舎系のラーメン店「舎鈴」に持っていって見せると味玉サービスです。行かれる場合はお忘れなく。(トーハク・西洋美など界隈の美術館のチケットでもらえるようです。ご参考まで)
ということで以上です。ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。
寒暖差が激しいですよね。体調を壊されないようご自愛ください。
ではでは。