おはようございます。
涼しくなったかと思えば、残暑が厳しかったりと、なかなか気候が安定しませんね。
9月の最初、まだ蒸し暑さも残る中、見に行った展覧会です。
「太田喜二郎と藤井厚二 日本の光を追い求めた画家と建築家」
です。
初めて行く目黒区美術館で「大人のための美術カフェ」なるトークイベントにも参加してきましたので、その様子を含め、ご紹介です。
今回も、まとまりのない内容ですが、しばしお付き合いを。それでは美術展へ。
※ 以下の記述は太田喜二郎と藤井厚二展の作品説明、その他Web上の解説等を参考に記述しています。また作品の写真などはパンフレット、撮影可能な展示を撮っています。
[目次]
I.展覧会概要
(1) 展覧会:太田喜二郎と藤井厚二 日本の光を追い求めた画家と建築家
洋画家・太田喜二郎(1883年12月1日~1951年10月27日)
京都府京都市上京区生まれ。師・黒田清輝の勧めでベルギーに留学します。ベルギーではエミール・クラウスのもとで点描を学び、日本に伝えますが・・・。
目黒区美術館イベント「大人のための美術カフェ」、太田喜二郎のベルギー留学時代についてのトークショーに参加してきましたので、この辺は、また後程。
建築家・藤井厚二(1888年12月8日~1938年7月17日)
広島県福山市の酒造家の家に生まれます。東京帝国大学建築学科を卒業後、竹中工務店に就職。藤井は「其の国の建築を代表するものは住宅建築である」という考えのもと住宅建築の第一人者となり、京都府は大山崎の地に建てた自邸「聴竹居」(ちょうちくきょ)は自邸で初の国の重要文化財に指定されます。藤井は建築のみならず、茶道や陶芸にも造詣が深い人物でした。
太田が藤井に自宅の建築を依頼したことから二人の交流が始まります。太田邸は1924年(大正13)竣工、1929年(昭和4)増築、1931年(昭和6)増改築と繰り返されます。太田と藤井は家の依頼者、施工者という関係を越え、「西洋に学び、日本の伝統を生かし、新しい日本文化を作る」者として交流を深めていきます。
洋画家・建築家、異なるジャンルの二人の芸術家が一軒の家を通じて強くしていった"つながり"に着目し、それぞれの芸術を紹介していくユニークな展覧会です。
(2) 会場:目黒区美術館
JR目黒駅(その他各線あり)の西口から飲食店の続く坂を下り目黒川は「目黒新橋」へ。橋を渡って川沿いを行くと、入り口の目印が見えてきます。駅からは10分ちょっとでしょうか。帰りは坂を上るので、少し大変かも。夕方だったら、どこかのお店に寄りたくなっちゃう道ですね。(次は一人飲みかも)
(3) 会期・開館時間・展示替等
2019/7/13(土)~9/8(日) ※ 本日最終日(9/8UP)
・本日9/8も14:00~「大人のための美術カフェ」開催。
テーマは「太田喜二郎邸の謎」。
ナビゲーターは河村容治先生(元東京都市大学教授、太田喜二郎邸CG復元映像制作者)
(4) 料金
大人1,000円、大・高生・65歳以上800円、中学生以下無料
(5) 訪問時間と混雑状況
9/1(日) 13:50頃 トークショー60分、鑑賞時間は約50分でした。
・展覧会場は混んでいません。ゆっくり見られます。
(6) 美術館メモ
・写真撮影は1Fの「雪の朝」のみOKで、そのほかはNGです。
・図録は2,700円。このほか、絵ハガキはありましたが2種類だけでした。もっと絵ハガキにして欲しかった良い絵があったのですが・・・
(7) 行くきっかけ(情報源等)
DNPさんのWebサイト・artscapeを見ていて見つけ、2・3名の方のブログでも紹介されていたのを見て、実際に行ってみようと思いました。
II. 展覧会所感
(1) 個人的な所感
目黒は、駅反対側の東京都庭園美術館さんに年に1・2回来ていますが、こちらの美術館さんは初めてです。ウィーンデザイン展とか、行ってみたいと思った展覧会はいくつかあるので、ようやくの訪問です。
絵ハガキが少なかったので、ご紹介できる絵は少ないのですが、太田喜二郎のベルギー時代の作品は明るく、光輝くという印象でした。また、サン・ピエール寺院の連作は同じモチーフを何回も描き続けたモネを思わせるものでした。日本に帰ってきてから画風は大きく変わりますが、画家の苦悩と、それでも光を探求し続ける気持ちが伝わるかのようです。
藤井厚二は京都の建築物の写真等が中心の展示ですが、特に緑に包まれた中に佇む聴竹居は、一度、訪れてみたいと思いました。今度、京都を訪れたときは、藤井厚二という名前を少し意識して散策してみたいと思います。
それでは、いよいよ会場なのですが、今回は「大人のための美術カフェ」の様子もふくめて紹介します。
(2) 展覧会の構成と気になる作品
展示スペースは主に2Fです。
・展覧会の構成
1Fの階段の下に撮影可能な作品が展示されています。
太田喜二郎「雪の朝」1910-11年
ベルギーの太田喜二郎の宿舎から見えたサン・ピエール寺院です。
展覧会は以下の構成です。
・第1章 太田喜二郎
留学前-東京に学ぶ
ベルギー留学
サン・ピエール寺の連作
帰国後-点描で描く日本の光
新たな日本の光を追い求めて
・第2章 太田喜二郎と藤井厚二の交流
太田喜二郎邸-藤井厚二設計
茶事を通して
書簡のやりとり
・第3章 藤井厚二
聴竹居-藤井厚二自邸
石﨑庚作(こうさく)邸-京都市内に遺る藤井厚二作品1
喜田源逸邸-京都市内に遺る藤井厚二作品2
小川邸-京都市内に遺る藤井厚二作品3
竹中工務店時代
海外視察
執筆活動
上記の中から、いくつか紹介します。
太田喜二郎についてですが、今回の展覧会での目玉は
太田喜二郎「赤い日傘」1912年 新潟大学蔵
光輝く緑の中の赤い日傘の女性。赤と緑、反対色のコントラストが印象的です。また、逆光の世界を描くことで、より光の存在を際立たせるよう描かれているとのこと。点描により、きらきらとした光に包まれた鮮やかな世界が明るく素敵な絵でした。
太田喜二郎「樹影」1911年
こちらも光と影の中の少年を描くことで、より強い光を表現した作品です。
太田喜二郎は日本に帰国後も点描を描きましたが、賛否両論。当時の日本では点描という表現は進み過ぎていて受け入れられにくかったとあります。日本の農村風景を点描で描いた作品がありますが、ベルギー時代のそれとは異なり、なんとなくしっくりしない印象を受けました。日本の気候に点描という表現方法はあまり適していないのではないかとも思います。ヨーロッパの乾いた空気の中のきらきらした光と、日本の湿気を含んだ空気の中の溶け合うような光では、違うのかなぁ、なんて勝手に思っています。
帰国後の太田は点描をやめて新たな表現を求めます。
太田喜二郎の作品は以下のリンクでも紹介されています。
「美術手帖」
近代京都を代表する洋画家と建築家。太田喜二郎と藤井厚二の交流にフォーカスする展覧会が目黒区美術館で開催|MAGAZINE|美術手帖
掲載されている「夏の昼」(1919年)は、まさに点描から新しい画風に変わった後の絵です。
「京都市文化博物館」過去の展覧会に太田の作品が紹介されています。
太田喜二郎と藤井厚二—日本の光を追い求めた画家と建築家— | 京都府京都文化博物館
(この展覧会が京都で開かれていた時のページです。最初のチケット画像(?!)の右側の「窓辺読書」(1910年)は黒田の読書する女性の絵にも通じるような感じで、とても好きな作品でした)
京都の画家と考古学 – 太田喜二郎と濱田耕作 – | 京都府京都文化博物館
(このページの「木陰の少女」(1909年)も好きな作品です)
(こちらは星野画廊さんのページですが図録の表紙としても紹介されている「夏の朝(花摘図)」(1911-12年)も素敵な作品です。なお、モデルは「赤い日傘」と同じです)
藤井厚二については、主に写真が中心ですが、藤井の作成した茶碗なども紹介されています。藤井については、とにもかくにも「聴竹居」です。
上記リンクを是非、ご確認いただければと思います。
・大人のための美術カフェ「太田喜二郎とベルギー」
当日は14:00から目黒区美術館の学芸員・山田真規子さんによるトークショーがありました。「美術カフェ」と銘打っただけあって、お茶とお菓子も配られました。こういう気遣いとこだわり、とても良いなぁと思います。堅苦しくなく、美術の話を楽しめます。
さて、学芸員の山田さんはこれまで姫路市立美術館におられたとのこと。姫路市立美術館はベルギー美術を取り扱っていて、こちらでベルギー美術の研究に携わる中、太田喜二郎も研究されているそうです。私も四半世紀くらい前(古いですが)、姫路に半年いたことがあり、姫路市立美術館も何度か訪れました。姫路城の近くにある立派な美術館だったことを覚えています。
「太田喜二郎とベルギー」のお話しは以下のような感じです。
1. 太田喜二郎の留学先、ベルギーとはどのような国か
太田喜二郎は絵の研鑽のためベルギーに留学しています。そこで、まず、ベルギーの紹介です。ベルギーはヨーロッパでも中心に位置し、現在ではEUの本部があります。昔はフランドルと言われました。独立は1830年。北部はオランダ語圏ゲルマン系、南部はフランス語圏ラテン系。このことから「ベルギー人はいない」といったアイデンティティにまつわる問題も抱えているとのことでした。
2. ベルギー美術の伝統
ベルギーは「フランドル美術」として有名な地。ヒエロニム・ボスやブリューゲルのような写実的で、幻想的な美術が盛んです。その後、17世紀はフランダースの犬でも有名なルーベンスが活躍します。建国後の19世紀はフランスからの影響を受け、特にアングルなどの新古典主義や、「麗しのロジーヌ」のアントワーヌ・ヴィールツのようにロマン主義から受ける影響が強かったとのことです。
3. 近代の美術
ベルギーの近代の美術はクールベのような社会問題に目を向けたレアリスム、印象派、象徴主義、表現主義等々、いろいろな影響を受け、「複雑で豊か」であったと評されています。
この頃が太田喜二郎が留学した時期と重なります。当時の印象派は世代交代をしていたころでモネやルノワールから新印象派のスーラなどに代が変わりつつあったとのこと。スーラの作品がベルギーで紹介されると点描が大流行したそうです。太田喜二郎が後に学ぶことになるエミール・クラウスも点描を描いた一人です。
4. 太田喜二郎
ここで太田喜二郎の略年譜の紹介です。太田は最初、東京外国語大学英語科に入り、その後、フランス語科を経て東京美術学校に進んでいます。この経歴を見ても、もともと留学する気満々だったようです。東京美術学校では藤島武二に師事します。
5. 太田の留学に至るまで
太田がベルギー留学に至るまでですが、そもそも太田は英語、フランス語を本格的に学んでいます。なぜベルギー?そこには、もう一人の太田の師匠・黒田清輝が関係します。黒田曰く、太田は「素直で温厚だが大人しい。フランス人は厳しすぎる。ベルギーの方が向いている」とのこと。太田はこのアドバイスを"素直"に受け入れベルギーに留学します。(黒田はフランスはつらかった時のイメージが強く、ベルギーに良いイメージがあったことも関係しているとか)
そして、エミール・クラウスに弟子入りします。
6. 太田の留学の第1期(1908年~1909年)
太田は1908年に神戸からベルギーにわたり、1913年まで滞在します。最後の年は周遊につかったので、実質は1912年まで絵を学んだそうです。
師匠・クラウスからは大変、厳しい指導を受けたようです。先生と同じように描けないのは自分の眼がおかしいからではないかと思うほど悩んだようです。特に光の捉え方を厳しく指導されます。そんな指導の中、徐々に成長を重ね、1910年にはクラウスからも認められるまでになります。
7. 太田留学の第2期(1910年~1911年夏)
クラウスに認められるようになった太田は留学期の中でも円熟期を迎えます、木漏れ日や逆光の中でモデルを捉え、より鮮やかな光を描く、そんな作品が多くなります。サン・ピエール寺院の連作を描くのはこの頃で、何枚ものサン・ピエール寺院の絵を並べ同時に筆を入れ、時間や季節によって変わる光を反映させながら作品を完成させています。モネを思わせるような描き方です。サン・ピエール寺院は当時の宿舎の窓から見えたので描いていますが、引っ越してしまうと、この寺院は描かなくなってしまいます。
8. 太田留学の第3期(1911年秋~1912年)
この頃は、転居した時期になります。ここで新しいモデル・マデレン(当時17歳)と出会います。マデレンをモデルとした人物画に力を入れ、「赤い日傘」「花摘図」等はマデレンがモデルだったと言われます。「赤い日傘」は帰国後、東京大正展覧会で2等を受賞しますが、展覧会への出品も想定していた自信作だったと言えるでしょう。太田喜二郎の芸術のある意味、頂点を迎えた時期だったのではないでしょうか。
最期に
太田帰国後のベルギーは1914年の第一次世界大戦に巻き込まれていきます。太田が留学していた時期のベルギー近代美術は"複雑で豊か"なもっとも恵まれた時代であり、太田にとっても恵まれた時期だったといえます。帰国後の太田は、1917年には点描をやめてしまいます。ベルギーとは風土も画壇も違う日本の環境で思い悩む時期を過ごしたようです。
と、若干、私の解釈も含んだ表現になっちゃっていますが(^^;)、概ねこんなお話しでした。(と思います。理解不足の点はご容赦ください)
いかがでしたでしょうか?ちょっと、太田喜二郎にご興味を持っていただけたなら幸いです。
(3) 最後に
太田喜二郎と藤井厚二。今回の展覧会で初めて知りました。作品は多くないですが、なかなかに発見のある展覧会で、私は好きです。もっと早くに行ければよかったのですが、知ったのも遅く、トークショーに行きたかったということもあり、この日の鑑賞になりました。
キスリング展でトークショーを聞いて以来、最近、結構はまって聞いています。なかなかスケジュールが合わないことも多いのですが、これからもトークショーには参加したいなと思いますし、ここでもご紹介できればと思います。
それでは、最後にリンクです。
全然関係ないですが、この展覧会の前に行きました。
ここまで、お読みいただき、ありがとうございました!
今回は少し文字ばかりになりましたね。作品はリンク先で補足したつもりなので、是非、ご参照ください。
台風15号の行方が気になります。ひどいことならなければよいのですが・・・
以上です。
ではでは。
(目黒新橋のたもとのサルスベリと目黒川。桜の頃はきれいです)