こんばんは。
またまた、だいぶ経ってしまいましたが、先月末、こちらの展覧会に行ってきましたので、ご紹介です。
「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」
北斎の展覧会はいつも会期末になるほど混んでいくので、早めに行こう!と思って行ってみたのですが・・・
それでは早速、ご紹介。相変わらず、まとまりはないですが、しばし、お付き合いください。
※ 以下の記述は新・北斎展 HOKUSAI UPDATEDの作品説明、図録、Web上の解説等を参考に記述しています。また作品の写真などは図録を撮りました。
[目次]
I.展覧会概要
(1)展覧会:新・北斎展 HOKUSAI UPDATED
今回の展覧会の主役はもちろん「葛飾北斎」。
葛飾北斎は1760年9月23日(宝暦10)に江戸・本所(現在の東京都・墨田区の一部)で生まれたと伝わります。実際には北斎も他の浮世絵師同様、出生や幼少期の細かい記録はあまりないようです。改号すること30回、転居すること93回。ほかにもいろいろな逸話が残ります。そして、1849年(嘉永2)の春4月18日に90歳で亡くなるまで、絵の道を突き進み続けます。今にまで伝わる素晴らしい作品の数々、そして数々の逸話、ひたすら絵の道を究めようとしたその生き方。これらのすべてが、北斎の魅力となり、現在でも、これだけの人気を誇る絵師たらしめていると思います。
さて、この展覧会はもう一人の主役がいます。浮世絵研究家の永田 生慈(ながた せいじ)氏です。
永田氏は1951年(昭和26)島根県津和野市出身。幼少時から北斎に魅せられ、北斎研究を志します。浮世絵展示の太田記念美術館の設立に携わり、故郷・津和野市に葛飾北斎記念館を設立するなどの活動の一方、総数2,000件を超える北斎及び北斎派の作品を収集し、「永田コレクション」を形成します。この「永田コレクション」は氏の意向により2017年に島根県立美術館に寄贈されますが、本展では大多数の作品が「永田コレクション」からの出展となります。
本展の準備にも携わられていた永田氏は2018年2月6日に逝去されました。氏の遺志により、本展が終わると「永田コレクション」は島根県のみでの公開となるため、今回が「永田コレクション」を東京で見る最後のチャンスです。作品数は全期間を通じた総計約480点。北斎が好きな方もそうでない方も、この機会をお見逃しなく。
(2) 会場:森アーツギャラリーセンター(東京・六本木)
六本木ヒルズの52Fです。六本木ヒルズは東京メトロ日比谷線・都営地下鉄大江戸線の六本木駅が最寄り駅です。なお、六本木ヒルズの駐車場は300円/30分ですが、ヒルズカードがあると2時間(1,200円)まで無料なので、今回は車で行きました。ヒルズを利用される方には、このカードはお薦めです。(駐車場以外にも特典はあります)
ヒルズ名物(?!)蜘蛛のオブジェの向こうに東京タワー!
そして美術館・展望台の入り口に。3階に美術館行きエレベーター乗り場への通路があります。
六本木ヒルズの52階からの眺め。美術館に行ったついでに、52階からの景色を楽しめるのもお薦めポイントです。この日は天気も良くて、良い眺めでした。
(隣の東京ミッドタウン)
(3) 会期・開館時間・展示替等
2019/1/17(木)~2019/3/24(日)
・休館は1/29(火)、2/19(火)~2/20(水)、3/5(火)。いずれも展示替えの前日です。
・開館時間は10:00~20:00。火曜日は10:00~17:00.入館は30分前まで。
これからですと火曜日以外はナイトミュージアムのようなものです。仕事や学校帰りにも是非。
・展示替えは大きく2回。小さいのを併せて合計4回あります。
前期=1/17(木)~2/18(月) [前期A=1/17(木)~1/28(月)、前期B=1/30(水)~2/18(月)]
後期=2/21(木)~3/24(日) [後期A=2/21(木)~3/4(月)、後期B=3/6(水)~3/24(日)]
※ 展示替えが多いので、見たい作品が展示期間中に展示されているか、十分に確認の上、ご鑑賞ください。各展示期間中の展示作品はこちら。
https://hokusai2019.jp/pdf/list_ja.pdf
(4) 料金
・大人1,600円、大学・高校生1,300円、小・中学生600円
・東京都美術館「奇想の系譜展」(2/9(土)~)とのセット券が2,800円で、両展覧会を通常料金で見るより400円お得です。3/24(日)まで販売。(両展覧会とも前売り価格と同じに。私は両方見る予定なので、このチケットを利用したました)
・東京都美術館「奇想の系譜展」と相互割引があり、「奇想の系譜展」のチケットの半券を持っていると100円引き。(逆に「新・北斎展」のチケットの半券で「奇想の系譜展」は100円引き)
(5) 訪問時間と混雑状況
1/27(日) 16:00到着、16:40頃入館。鑑賞時間は約110分。
・美術館入口に向かうところで、こんな看板が。なんと40分待ち!
内心「え~。まだ、会期の前半なのにこんなに待つとは。出直そうかな」と思いました。でも、この日は展覧会のためだけにわざわざ六本木ヒルズまで来たこと、出直すともう来なくなっちゃうかもしれないと思い、意を決して並んで見ることにしました。(「このブログでの報告材料にもなるし、ちょっとオイシイかも」とも思いました)
で、美術館に入るまでの経緯は・・・
・52階までのエレベータに乗るまでに並ぶこと15分
・52階に上がって美術館に入るまでに並ぶこと20分
並ぶ前にトイレ行ったり、52階からの写真を撮ったりもしたので、結局入るまでに表示通り40分かかりました。
確かに人は多いのですが、ここまで並ぶ原因は入ってからすぐの展示が小さいということでした。作品が小さいため、少しでも良く見ようと思うと並んでしまうのです。2室目の途中くらいから、空いてきて、ゆっくり見られるようになります。後半は鑑賞環境はとても良いです。
これは、展示の構成上、仕方ないかな。逆にどんどん詰め込まず、入場制限をしている美術館の判断は正しいと思います。(混むのは最初の方だけなので)
係の人に聞くと平日はそこまで混んでなく、並ばない日もあるとのこと。本展は平日は20:00まで開館している日も多いので、この時間帯を活用して鑑賞するのが良いかと思います。また休日でも、できるだけ開館直後くらいの時間に行くと、並ぶ時間は短くできるのでは。いずれにしましても、会期末は相当に混むことが予想されますので、早めに行かれるのをお勧めします。(あくまで予想ですので、外れたらゴメンなさい)
なお、作品数が非常に多いので、鑑賞時間は通常より長めに設定することをお勧めします。(通常の1.5倍~2倍見込んでも良いかも)
(6) 美術館メモ
・写真撮影はNGです。
・ミュージアムショップでは、図録2,800円。絵ハガキ150円です。このほか、トートバッグ(756円)、クリアファイル(380円)等もあります。
・本展は展示数が多いことから、図録はかなり分厚く充実しています。実際に行かれなかった会期の作品も収められていますので、結構、お勧めです。私は図録を購入しました。
(図録表紙です)
(7) 行くきっかけ(情報源等)
本展はチラシミュージアム&日経おとなのOFF 1月号を見て、行くことにしました。
II. 展覧会所感
(1) 個人的な所感
本展では、北斎が主に用いた画号(春朗、宗理、葛飾北斎、戴斗、為一、画狂老人卍)の6期に分けて、北斎の生涯にわたる画業に迫る展覧会です。
本展に多数出展されている「永田コレクション」は研究家・永田氏が収集したコレクションなので、美術的コレクションであるとともに歴史の史料としての学術的コレクションでもあると強く感じました。有名な作品から、あまり知られていないような作品、大作から小品まで、かなり網羅的に北斎の作品を収集されています。よって、今回の展覧会を見ていくと氏の北斎に関する学術論文を読んでいるような、そんな感覚に囚われます。 きっと、北斎の全画業を追うことができる貴重な機会になると思います。
ちなみにパンフレットはこんな感じ。
(2) 展覧会の構成と気になる作品
それでは、北斎の画号の変遷とともに会場で気になった絵を少しご紹介。
第1章:春朗期-デビュー期の多彩な作品
画号=春朗(しゅんろう)
北斎は19歳で勝川春章に入門し、役者絵や美人画を描きます。(この頃の作品が、結構小さい作品が多かったです)
ここでは、若き日の北斎の作品が展示されています。
「四代目 岩井半四郎 かくし」。デビュー当初の作品。これが北斎のスタートです。均整が取れてキレイですが、まだそこまで特徴的とは言えないですかね。この絵からやがて北斎になっていきます。
この頃の北斎(=春朗)は役者絵・美人画・名所絵・武者絵など多彩な絵を描き、自らの絵を徐々に確立していきます。
「鎌倉勝景図巻」大仏の図です。鎌倉の風景画、絵巻として描かれています。大仏のデフォルメされた表情が面白いと思いました。
「鍾馗図」。この絵の力強い輪郭線や動きからくる躍動感は、この後の北斎に繋がっていくのを感じる絵でした。
第2章:宗理期-宗理様式の展開
画号=宗理(そうり)
1794年(寛政6)、30代半ばの北斎(=宗理)は、勝川派を離脱して琳派にいきます。(これは知りませんでした。琳派にもいたとは)
この頃は浮世絵版画が少なくなり肉筆画が増えているとのこと。楚々とした体躯、瓜実顔の美人画は「宗理風」と呼ばれています。この頃、画法は急速に変わり、西洋画法等も意識した作品が残されます。
「あづま与五郎の残雪・伊達与作せきの小万夕照」
「春庭三美人図」
このあたりの可憐な美人画が、「宗理」らしいかなと思いました。
第3章:葛飾北斎期-読本挿絵への傾注
画号=葛飾北斎(かつしかほくさい)
1805年(文化2)、40代半ばで北斎と称します。この頃は読本と呼ばれる小説の挿絵で大きく貢献します。画法は中国絵画の影響も受け、力強いものに変化します。
「しん板くミあけとうろふゆやしんミセのづ」。これ、面白と思ったのは、今でいうところのプラモデルみたいなものであること。のりしろもあり、絵を切り抜いて貼り合わせると右下の写真のようになります。組み立てて、銭湯ができるというのも、なんか洒落てて面白いと思いました。当時から、こういう絵があるのが斬新です。
「見立三番叟」。中でも、真ん中の女性を拡大してみると・・・
女性の顔は瓜実顔で可憐な感じですが、着物のしわや質感、動きを敢えて細かく描きこまずに輪郭線の太さ、色の濃淡で描くことで、平面的ではない絵に仕上がっていると思います。初期の頃の絵とは変わってきていると感じました。
第4章:戴斗期-「北斎漫画」の誕生
画号=戴斗(たいと)
1810年(文化7)頃から1819年(文政2年)頃まで、北斎の50代はこの画号を使っています。この頃は挿絵から遠ざかり絵手本を手掛けています。その代表作が「北斎漫画」です。門人の増加への対応、全国に自らの画風を広めようという意欲から生み出された傑作です。
上「北斎漫画」十一編、下「北斎漫画」十二編。
また、こんな面白い作品もあります。最近、発見されたとか。
「生首図」。なんか、題材はふざけているようにも見えますが、この絵は、陰影で対象を表現しており、西洋画を意識した作品のようにも思えます。よく見ると髪の毛も一本一本丁寧に描かれています。北斎の画力を見せつける逸品だと思いました。
第5章:為一期-北斎を象徴する時代
画号=為一(いいつ)
1820年(文政3)、北斎61歳から、この画号を使っています。北斎の代表作はこの頃に作成されています。
「富嶽三十六景 凱風快晴」
「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
「諸国瀧廻り 美濃ノ国養老の瀧」
このあたりは有名過ぎるほど有名な作品ですが、このような作品も多数展示されています。
第6章:画狂老人卍期-さらなる画技への希求
画号=画狂老人卍(がきょうろうじん まんじ)
1834年(天保5)、北斎70代半ばから、この画号を使っています。北斎は最晩年期は版画ではなく肉筆画を描くようになります。この歳になってパンフにもあります(最初の入り口の看板にもある)大型の肉筆画「弘法大師修法図」を描きます。また、同じくパンフのひまわりの絵もこの頃です。どの絵を見ても、むしろ躍動感や力強さはこの頃の方があるのではないかと思うような作品が並びます。
「鶺鴒図」。岩から除く鶺鴒(せきれい)の動きがリアルです。何か、今にも動き出しそう。
「赤壁の曹操図」。曹操の力強い表情、甲冑の模様の細かさ、色鮮やかさ。まったく衰えることのない北斎の絵への情熱が伝わるようです。
ということで、ほんの少しですが、ご紹介まで。
(3) 最後に
北斎89歳の時、90歳で画風を改め、100歳以降は絵画の世界の改革を目指すと「画本彩色通」の中に記されているとのこと。(図録より)
しかし、実際はこの翌年である1849年(嘉永2)90歳で病床に臥せります。北斎は死の間際、あと10年命があれば・・・あと5年あれば本当の絵描きになれただろう、と残してこの世を去ります。この絵へのストイックなまでの情熱、求め続ける姿、これが膨大な作品からも伝わってくるのが、北斎が他の画家と一線を画す特別な存在たりうるところなのかもしれません。
北斎は北斎にして北斎にあらず。変わり続け、描き続け。だからこそ北斎。
本当に貴重な作品群だと思います。是非、この機会に。
2月、まだまだこれから美術展を見に行こうと思うので、最後はこちらを紹介。
そして、帰り。六本木ヒルズからの東京タワー。きれいでした。
ということで、今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また、次回もお付き合いいただけますと幸いです。
以上です。ではでは。