よろこんで!**してみました。

アラフィフ男子が、何気ない日常生活で楽しいと思うことを、つれづれに書く雑記ブログ。美術・落語・スポーツ観戦・グルメ・お酒に旅行等々。たまには、なにか語ることもあるかも・・・

コンサート日誌:日フィル、ショスタコ2曲(2025/10/17鑑賞)

よろコンです。

 

今日は最近見て来たコンサートです。

「あのとき、こんなコンサートに行ってきたなぁ」と後から自分が思い出すための記録です。

 

今晩のコンサートはサントリーホール。ということで、会社から歩いて会場まで。

 

 

途中、

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虎ノ門ヒルズのオーバル広場。後ろは虎ノ門ステーションタワー

さらに、きつい江戸見坂を上って(感覚的には登って・・・)

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大倉集古館~アメリカ大使館の脇を抜け、

 

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サントリーホールに到着

 

さて、今日のコンサートは・・・

2025年10月17日(金) 19:00開演 @ サントリーホール

日本フィルハーモニー交響楽団

第774回 東京定期演奏会

<プログラム>

ショスタコーヴィッチ

・ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 op.35

・交響曲第11番<<1905年>> ト短調 op.103

指揮:カーチュン・ウォン[首席指揮者]

ピアノ:小川典子

トランペット:オッタビアーノ・クリストーフォリ

コンサートマスター:扇谷泰朋

 

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18:30~プレトークだったとはつゆ知らず(いつも通り調べが甘く^^;)聞き逃しました。

 

サントリーホール内
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今日の2曲を作曲したショスタコーヴィッチ。今年は没後50年。記念の年になります。

ショスタコーヴィッチの交響曲は15曲。ベートーヴェンの最後の交響曲が第九(合唱)だったことから交響曲第9番を作曲すると死ぬという「第九の呪い」。このジンクスを乗り越え(?!)、10曲以上の交響曲を作曲したソ連の大作曲家。

(余談ですが、マーラーも10曲の交響曲を作曲していますが「第九の呪い」を恐れるあまり、8番の後の9番には番号を振らず「大地の歌」と命名。その後、交響曲第9番を作曲するも10番は未完のまま亡くなりました。ジンクス恐るべし)

 

大学時代、確かTOYOTAの「トレノ」のCM(最初に「マキーナ!」と言っていたCM)で流れていた音楽を「カッコいい!」と思って、恥ずかしながら、この曲がショスタコーヴィッチの交響曲第5番<<革命>>ということを初めて知って、これをきっかけにハマって、ショスタコービッチの交響曲を聴くようになりました。

(社会人になったばかりの頃はこの反動か、バッハやヘンデルなどのバロックばかり聞いていた時代もありました。その時々で、聴く曲も移り変わりますね)

 

さて、今日の第一曲目のピアノ協奏曲第一番は、今回のコンサートを機に初めて聞きました。もとはトランペット協奏曲として構想されるも、作曲が進むにつれピアノとトランペットの二重協奏曲になり、最後はソロ・トランペットを伴うピアノ協奏曲として仕上がったとのこと。ピアノ協奏曲にソロ・トランペットと、個性的な曲だなぁ、と思いながら聴きました。

 

そして、私の中では今日のお目当て、交響曲11番。<<1905年>>とあるのは1905年1月22日(旧ロシア歴で1月9日)、血の日曜日事件を端に発したロシアの第一次革命がモチーフだから。

ショスタコ没後50年、多くのコンサートで演奏される中、どれを聴きに行こうかと思い、久々に(もう、何年振りか)Spotifyでこの曲を聴いて、これを聴こうと決めました。

 

この曲は正に音楽が映像を映し出す映写機のよう。

第一楽章「宮殿広場」では、血の日曜日事件前、不穏な空気に包まれゆく冬宮殿広場
第二楽章「1月9日」では、冬宮殿広場に集まる民衆、一瞬の静寂、それを切り裂く銃声(小太鼓の連打)、そこからはただただ混乱の渦の真っただ中に
第三楽章「永遠の追憶」では、事件の犠牲者への葬送曲が静かに流れ
第四楽章「警鐘」では、再び立ち上がる民衆の歩み、そして最後に鳴り続ける警鐘

まさに事件現場の中に放り込まれたような"イマーシブ"な体験でした。特に2楽章の銃声後の混乱、最後の4楽章の民衆が立ち上がり、鳴り響く警鐘。これはコンサートで全身を音で包まれないと体験できない感覚だと思いました。さすがにイヤホンだけでは味わえませんね。(これまで電車の中、iPhoneで聴いていたもので)

 

この曲自体は長年、ソ連の体制を賛美した曲として否定的に見られてきたようです。(ショスタコーヴィッチの他の曲も以前は同じような評価を受けており、作曲家自身の真意も謎に包まれているとのこと)

1980年代以降は、ソ連体制を讃えるのではなく、人間の普遍的な悲劇を描いた傑作との評価に変わったとのこと。自由な表現が許されず、ことによっては命にかかわるスターリン時代のソ連を生き抜いた作曲家。その表現の中に込められた真意に思いが寄せられます。

 

演奏終了後(今回は、終了後の撮影はOKでした)

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  「飲んで帰ろうかなぁ」とは思いましたが、帰りがキツくなりそうで、家で飲むことにしました。完全に歳ですね(^^;)

それにしても、良いコンサートでした。

 

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  さて、演奏後のブラボーが早過ぎた「ブラボーおじさん」がコンサートの少し前のニュースに。このコンサートでは、最後の鐘の音の響きが消えるまで静かに余韻に浸れたと思います。確かに、この鐘の音の最中に「ブラボー」と言われたら、かなり残念な気持ちになったかも。(中にはブラボーおじさんを必要以上に非難する人もいるようで、これは絶対NGですね)

一方、鐘の音の最中、このニュースを意識していた人はいたのではないかと勝手に思ってます。(私は少なからず意識しました。「ブラボー」とは言いませんが、拍手も同じなので)

クラッシックも寄席も何でもマナーは大切。携帯を切るとかは当たり前だとは思いますが、こういうことも広く情報共有して、逆に敷居を高くすることなう、構えずにコンサートをみんなで楽しみたいと思いました。(クラシックだと、指揮者や演奏者が必ず終わったときに緩むので、演奏家になった気持ちで指揮者を見てます。あと拍手やブラボーは競争ではないので、慌てなくても大丈夫。ずぶの素人の意見で申し訳ありません。間違っていたら、ご指摘下さい^^;)

 

ということで、この日の晩酌も美味しかったコンサートの夜でした。

 

本日は以上です。ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。

また、よろしくお願いします。ではでは。