よろこんで!**してみました。

アラフィフ男子が、何気ない日常生活で楽しいと思うことを、つれづれに書く雑記ブログ。美術・落語・スポーツ観戦・グルメ・お酒に旅行等々。たまには、なにか語ることもあるかも・・・

ゴールデンウィーク2019(4):平成の最後に平成を振り返る(2019/4/30)

平成最後の日。

終わりまで、あと数分というところまできた。

 

平成最後の今日は一日中、雨降り。平成最初の日も雨だったという。

他人事のように書くのは、もう、その日の天気は覚えていないからだ。

 

1989年1月7日。突然、昭和は終わった。いや、誰もが、いつか来る、いつか来る、そう思っていた。たまたま、Xデーがその日であっただけである。しかし、やはりその知らせは突然舞い込んだ。

翌1月8日、平成も突然始まった。「平成」という言葉が世に出たのは1月7日だったからだ。なんだか、実感は湧かなかった。

もっとも、当時高校三年生であった私にとっては、目前に迫った最後の「共通一次」だけが関心事であった。だから、元号が変わるなんて、些細なことであった。まだ見えぬ自分の行き先、それしか興味がなかった。

 

  あれから三十年・・・時代も自分も大きく変わった。

最後の日くらい、少し昔を振り返ってみようか。

今日の雨はそんな気分にさせる。

 

平成元年(1989)

平成のスタート直後から世界は大きく変化した。

  11月9日 ベルリンの壁崩壊

東西冷戦の象徴ともいえるベルリンの壁が崩壊。浪人中であった自分にも、壁にハンマーを叩きつける人の姿は鮮烈な印象を残した。その年、地中海のマルタで行われた米ソ首脳会談(マルタ会談)で東西冷戦が終結。そして翌年、ソビエト連邦崩壊。明らかに世界が変わったときであった。

 

平成三年(1991)

  1月17日 湾岸戦争勃発

夜間の空爆と砲撃の映像。あたかも「テレビゲーム」のような現実感のなさ。遠い世界での話だった。しかし、実際は遠い世界の話ではなかった。これを機に日本は自衛隊をペルシャ湾に派遣。平成四年(1992)には国連平和協力法(PKO法)を成立させ、自衛隊はカンボジアに。その後も、自衛隊の海外派遣は続く。確実に戦争に近づいた瞬間であった。

 

この頃、大学生だった私は、来る日も来る日も酒とマージャンとバイトに明け暮れていた。当時、好きだった中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」が、そこはかとなく感じる将来への不安を癒してくれた。そして平成六年(1994)、就職をした。

 

平成七年(1995)年

年明けから日本は大きな事件に見舞われた。

  1月17日 阪神淡路大震災

当時、関西では少ないと言われていた地震。それも大地震が直撃した。こんなことが起きるなんて、想像もできなかった。

  3月20日 地下鉄サリン事件

この時、私は九州にいたが、職場では出張中の社員の安否確認でばたばたしていた。その後の一連の事件。はるかに想像を超えた出来事であった。

この年の出来事は、これまでの常識だけでは通用しないことを、まざまざと明らかにした。

 

そして、この年は、もう一つ別の大きな転換期であった。それは、

  「Windows95」の発売、そしてインターネットの普及

今のAI、ロボット、自動運転等々の技術革新、ネットという新しい社会の創出。今振り返れば、これらのITによる変革は明らかにこの年をスタートにしていると言える。

平成七年はいろいろな意味で社会が変わるターニングポイントであったと思う。

 

それから、日本はバブル崩壊後の「失われた十年」「失われた二十年」を過ごす。そんな中、突然、とんでもないニュースが入った。

 

平成十三年(2001)

  9月11日 世界同時多発テロ発生

その日は出張で東京に来ていた。仕事を終えて帰る途中、突然携帯が震えた。見ると電話ではない。何か緊急ニュースの知らせだった。そんな設定にはしていないはずだけど、そう思いながら帰って、点けたテレビの画像に目を疑った。まるで映画「ダイハード」でも見ているのか。にわかには信じられない光景であった。

旅客機がビルにそのまま突っ込んでいく・・・

ニューヨークのそのビルは、卒業旅行で訪れた場所であった。

 

そして開始されたアメリカのアフガニスタンへの報復。テロによる応酬。キリスト教とイスラム教の対立。世界は新たな戦争の時代に突入した。この脅威は今でも続いている。この日も世界が変わった日である。

 

平成十五年(2003)

  3月20日 イラク戦争勃発

日本ではイラク特措法が成立し、自衛隊はイラクに派遣される。これらのニュースを思い起こし、ふと思うことがある。

  はたして平成は本当に戦争がなかった時代だったのだろうか?

そんな疑問を禁じえない。むしろ、日本は、そして世界は、あらゆるところで起こりうる戦争にさらされ続けた時代だったのではないだろうか。ただ、普段の生活では実感することができないままに・・・

 

その後もリーマンショック、iPhoneをはじめとするスマホの登場、政権交代等々の出来事がめぐりくる中、次の日がやってくる。

 

平成二十三年(2011年)

  3月11日 東日本大震災

このとき、私は東京にいた。外の喫煙場でタバコを吸っている最中、これまでに経験したことのないような大きな揺れが発生した。窓ガラスが割れて降ってくるのではないか、そんな恐怖を感じた。(実際には起きなかった)

揺れがおさまった後、早々に都内の電車は運休することを決めた。それでも、このときの私はまだ事の重大さに気がついていなかった。周囲の人間も同様であった。どうやって帰ろうか、その程度の感覚であった。そして家に帰りつきテレビから流れる映像に、これまでにない衝撃を受けた。その後の原発事故等々。この日、日本は変わった。

そして、震災は現在も終わっていない。一日も早い復興を願うばかりである。

 

平成三十一年(2019)

  4月30日 平成の終焉

 

  この三十年間で日本は変わった。世界も変わった。こんなにまで変わることを三十年前に想像できたであろうか。

  そして、私も変わった。高校卒業~大学~就職~結婚、そして今に至るまで。人生の変化という変化はすべて平成で経験してきた。平成という時代は、初めから終わりまで、私が生き抜いてきた、そういう時代である。その意味で、やはり平成は良い時代だった。

 

そして、あと数分で来る「令和」

明らかに私にとって人生の後半戦に迎えるこの時代。最後まで生き抜くことができるか、それは分からない。ただ、平成のときと同じように、令和も大きく変化し続けるのであろう。それだけは想像できる。だからこそ、この新しい時代も、いろいろなことにぶつかりながら、それでもめげずに生き抜いていきたいと思う。「令和は良かった」そう思えるように。 そして、来たる時代が平和であり続けることを切に願いたい。

 

そんなことを思いながら、今は静かに「令和」を"迎えたい"と思う。

 

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